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COME ON ! WHAT YOU WAITIN' FOR?

1964年8月16日 母TAMIEによって出産されるやいなやRock'nRollをShout。
1968年 水野園長引きいるBudda思想的Hippie集団『カナリヤ幼稚園』入園。 平和な学園に悪魔の調べを響かせるべく、オルガン教室に通う。幼稚園児のくせに妙に色っぽい、おなじクラスのみほちゃんに不思議な感情をおこす。Baby Tell Me ,What Can I Do?
1969年 ブランコからのジャンプに失敗、後頭部を強打。世界がまわる。
1970年 大阪で開催された万博『EXPO'70』に行く。「世界はひとつ」の名目を掲げ、太陽の塔の下繰り広げられる近未来的お祭り騒ぎにモンド心をくすぐられる。会場で販売されていたフランクフルトソーセージとガーナコーヒーにハマる。
1971年 地元でも特別トッポイとされていた小学校へ入学。ヤマハエレクトーン教室へスイッチ。
1971年 ぬるい雰囲気に嫌気がさし、エレクトーン教室をやめる。くじら公園に入り浸たる毎日。
1973年 父、突然Photo Studio開業。器材買いまくり。家庭は深刻な財政危機に。暇なのでスタジオでブラブラするうち、写真にハマる。フィンガー5のアキラにヤラレル。
1976年 Rock'nRollの神に魅入られ、突然爆音を出したいという衝動に駆られる。母にドラムセットの購入を熱望するが、無視。バイトを探すが、小学生である事を理由に、全て断わられる。そんな時、クラスの久多見君が、近所のお兄さんから古いテスコのギターとアンプを借りてきた。放課後、彼の家の二階から通行人に向かって、ボリューム10で6弦開放をドロップ。
1977年 中学校入学前に引っ越しをしたため、知らないヤツばかり。しかし、いつの間にか周りは勉強出来なそうな連中が集まっていた。バンド始める。
1979年 中学3年 ヤマハのバンドコンテスト地方予選通過。島川(B)、種元(Dr)、佐土井(G),のトリオ .ザ.ドラ息子。全ての怒れる中学生をレペゼン。しかしグラムロックばりのメイクに銀縁眼鏡の中学生の登場に観客即死状態。演奏後のインタビューで、なぜか八代亜紀「船唄」を熱唱。
1980年 狙っていた高校に無事入学。家から5分。ロン毛にグラデーションの眼鏡で東町のボブ・ウエルチと異名をとる。楽器屋でバイト始める。店のマーシャルアンプにプラグイン。感電。
1981年 弟がKORGのパッチ式シンセを買う。ランダム波でフィルターをドライブ。二人でシビれる。さっそくテクノカットにする。もみあげを剃る毎日。
1982年 16Beatに身も心も捧げる。地元の精鋭をあつめたアーバンソウルバンド。なぜかボーカルは、パンチパーマにフリルのシャツで、WEST COASTあたりのビーチに遊ぶブロンド娘への憧憬を熱唱。順調に勝ち進むもまたもや決勝進出ならず。身も心もうなだれる。始めて人生に危機感をおぼえ。悩んだ末、ナンパに走る。
1983年 東京で生活を始める。ファンクバンドに入る。飲みまくり、DISCOいきまくり。12月オートバイ事故。トラックにクラッシュ、ヘルメット割れてマジ即死寸前。生まれて始めての入院生活。保険金で新車&豪遊。
1984年 ハービー・ハンコックのロック・イット・ツアーで生スクラッチ初体験。グランド・ミキサー・DSTにROCKされる。マジ、リスペクト。この頃、友人に西麻布のTOOLS`BARというクラブへ連れて行ってもらう。ブラックライトの中、ビールをらっぱ飲みしながら、「セクシャル・ヒーリング」でダンスするオシャレビトに、SHOCKうける。バンドにDJを入れようと決心。


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その後・・。周りにDJするヤツがいなかったので、自分でやることにする。とりあえず車を売った金で、ターンテーブルと、ニューヨーク行きのチケットをGET。全米一デンジャラスといわれるデルタ・エアラインで、まずは乗り換え地であるポートランドへ・・・。
ここから僕のDJとしての人生が始まった訳です。この続きは、皆さん興味がありましたら。また来月にでもこの場所に来てください。面白いはなしをUPしておきます。4649
      SADOI                    SEE YA!